寺口遺跡
千光寺跡 メニューにもどる
四條畷市田原台4丁目 (目印は消防署田原分署です)
寺の通用門
人情厚い田原の里。村の人々はとれたての野菜などを寺へ届けたりしたことでしょう
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懸け仏 灯明具 中国製陶磁器 日常の食器類 茶道具 |
立派な土塀 | 総供養塔 下部施設は 常滑焼の大甕 |
暖房具を利用した 骨壷 |
田原の殿様の 愛用品 |
仲良く寄り添った 2つの火葬墓 |
曹洞宗月泉寺の墓地に田原対馬守のものと伝えられている大きな五輪塔がありました。 この場所は《寺口》という小字名が残っています。また《千光寺谷》とも呼ばれていました。 地元では「田原城主の菩提寺で千光寺という寺があったらしい」と伝えられていましたが、その場所はわかっていませんでした。 このあたりを住宅都市整備公団が造成工事を行うことになったので、平成6年4月〜8月に発掘調査をしました。 |
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この発掘調査によって、寺と墓地が見つかりました。調査のスタッフは 「もしかして、ここが千光寺ではないか?」と思いました。 調査が終了し、大量に出土した瓦の洗浄中に《千光寺》とスタンプした瓦を3枚見つけました。 墓地からは、城主にふさわしい中国渡来の青磁袴腰香炉などの高級品が発見されたこともあって、この寺が間違いなく千光寺であることがわかりました。 千光寺は鎌倉時代〜室町時代が最も繁栄した時代でした。 |
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千光寺跡は平成6年の発掘調査で発見されました。 その後の平成14年、その続きの発掘調査においてキリシタン墓碑が出土しました。 |