大阪府指定の有形文化財及び史跡 

四條畷市指定有形文化財
    国指定登録有形文化財建造物

 平成11年
大阪府指定有形文化財(考古資料
平成19年
大阪府指定有形文化財(歴史資料)
 
昭和52年
府指定有形文化財(建造物)
 
 青磁袴腰香炉 キリシタン墓碑   
写真:中国製青磁袴腰香炉
鎌倉時代 高さ11.1センチ
田原城の菩提寺千光寺跡






 
写真キリシタン墓碑 
安土桃山時代 高さ43.4センチ
田原城の菩提寺千光寺跡

銘文
十字架にH
天正九年辛巳
礼幡(レイマン)
八月七日
 写真:逢阪五輪塔
南北朝時代 高さ180センチ

銘文
大坂一結衆
延元元年(1336)丙子三月日
造立之





昭和47年
大阪府指定史跡
 
 
大阪府指定史跡
 
大阪府指定史跡
 忍岡古墳全景 小楠公墓地とクスノキ   和田賢秀の墓
写真:忍岡古墳全景
古墳時代前期 全長90mの前方後円墳
古墳時代前期の古墳の発見は多くはありません。
この古墳は幸いなことに石室(死者の眠っていた場所)が残っていました。地元の方々の熱意で昭和10年以来覆屋で保存し保護されていましたが、覆屋が老朽化したので平成14年に建て直しされました。
写真:小楠公墓所
楠正行(くすのきまさつら)の墓
正行は南北朝時代の武将。正平3年(1348)、四條畷の合戦で戦死。70年ほどたった頃、人々は塚を造り、クスノキを2本植樹。後に2本が1本となり大樹となりました。クスノキは大阪府指定天然記念物
 写真:和田賢秀墓
四條畷の合戦で正行とともに戦死した武将。正行のいとこでナギナの名手。
賢秀は敵の中にまぎれこみ、敵の大将を倒そうとしましたが失敗。切られてしましました。
賢秀はくやしさのあまり敵のヨロイにかみついて離さなかったと伝わりました。後の人は歯の神様として信仰されました。


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