忍岡古墳覆屋再建工事のながれ

忍岡古墳全景

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 4世紀の頃、四條畷で河内湖や難波の海(大阪湾)が良く見える見晴らしのよい場所に忍岡古墳が造られました。
 東にひかえた生駒山系のみどりが湖面に映え、西からふり注ぐ光が古墳の葺き石を白く輝かせ威容を誇っていました。遠くからでもよく見えるので権力を見せつけるには充分でした。
67年前に建築の覆屋
 67年前に建てられた旧覆屋です。しかし、平成七年の阪神大震災によって覆屋が傾いてしまいました。地元の方々が中心になって覆屋を立て直すことになりました
 昭和9年(1934)、室戸台風がきて大阪でも大きな被害をうけました。
 その時に忍陵神社が倒れてしまいました。建て直し工事中に石室(死者が眠っていた場所)が出てきました。
 そこで京都大学が調査した結果、数少ない古墳時代前期の古墳であることがわかり、大発見となりました。そして地元の人々が古墳に覆屋を建てて石室を大切に守ってきました。石室は格子ごしに見学することが出来ました。
解体にあたって無事を祈る 平成14(2002)年8月19日。 覆屋の建て直し建設の前、地元の方々によって安全祈願されました。

神さまにお供え物をして、安全をお願いします。
 
古い覆屋が取りのぞかれた  今回の建て直し工事で67年ぶりに石室の姿を見ることができました。ここに1700年前に亡くなった人が眠っていたのです。
 石室は前期古墳の特徴を備え、堂々とした姿です。
石室内部

石室内の長さ6.3m・幅1mです。
 石室内は赤く塗られていましたが、埴輪や石室の石にはベンガラを、副葬品には高級品の水銀朱が塗られていました。

 石室は兵庫県猪名川から運ばれた板状の石を丁寧に組み合わせています。
 天井に使われている石はそれより大きい石が使われています。四條畷市周辺では板状に割れる石はありません。
 本来なら、死者の眠る場所にはたくさんの副葬品が供えられます。それは、銅鏡・勾玉などの豪華な装飾品や軍事力を誇示する金属製品などです。残念なことにそれらの副葬品のほとんどはすでに持ち去られていました。残っていたのは碧玉製紡錘車5・腕釧・鍬形石、鉄製品のヨロイの部品・刀・刀子・矢じり・オノなどです。円筒埴輪の破片も採集されています。これらは、京都大学の所蔵です。
石室の外の構造  石室の下部施設には子どものこぶし大の石が敷きつめられ、石室を湿気からまもるように設計されていました。細部まで丁寧につくられてい手厚く埋葬したことがよくわかります。
 亡くなった人の権力をしのぶことができる調査でした。
調査がすんで覆屋建築  着々と工事が進んでいます。
 石室は保護され、その上にブルーシートをかけています。
大工さんも文化財保護のために慎重に工事をしています。
無事完成のお礼  平成14年12月22日。事故も無く無事に再建されました。
 地元の方々の熱意で立派な覆屋が完成し、おごそかに竣工式がとりおこなわれました。

 古墳は遠くからでもよく見えるように高い場所に造ったり、斜面に石を敷き詰めたりしました。テラスには埴輪を立てました。大勢の人々が古墳築造にたずさわりました。

この頃に古墳を築造できるひとは、ほんの一握りの人でした。忍岡古墳では大勢の人々が参列し、厳粛ながらも華麗に葬礼がおこなわれたでしょう。

 是非現地を訪れて、古墳時代を体感してください。

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