中野遺跡 平安時代〜鎌倉時代  井戸

き  さ  ら  ぎ
  如 月
井戸と水汲み
井戸端は、水汲み、洗濯、炊事の準備、庖丁研ぎなどの人々でにぎわいました

遺跡の平面図  井戸の平面図  井戸の中から見つかった土器類
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平成3年(1991)、市役所東庁舎新築工事に伴う発掘調査で井戸が二基見つかり、その井戸枠に曲物(まげもの)が使われていました。井戸2の曲物には墨書されていましたが、すべての文字を読み取ることができませんでした。

平成14年奈良文化財研究所で赤外線撮影を依頼したところ『如月』の文字があざやかに写し出されました。

井戸枠に使われた曲物 曲物の墨書
平成25年度市指定文化財になりました
井戸の底から発見された曲物(井戸枠)
如月(きさらぎ)二十日 應保(おうほ)二年 と墨書

如月は2月のことです。「衣更着、すなわち寒さがきびしく、重ね着をする」と言う意味です。古来の用字で、詩歌や古文に用いられます。

文字資料は奈良時代から、曲物は平安時代ごろの遺跡から多く出土するようになります。この曲物はヒノキ材が使われ、桜の樹皮で止めてあります。

おそらく、應保二年(1162・平安時代)に曲物を購入して使っていたものを、古くなったので井戸枠に再利用したのでしょうか。
 平安時代に描かれた『信貴山縁起絵巻』にはあらゆる場面で曲物が描かれています。曲物は日用品の一つとして、欠かせない道具でした。現在でも、もち米やまんじゅうを蒸すときに使います。

井戸枠が見つかったのは中野遺跡で、市役所を中心にして広がる遺跡として知られています。清滝街道と東高野街道などの幹線道路に面している重要な場所で、なおかつ良い水も涌き、理想的な住宅地だったでしょう。

 井戸の中から見つかった土器類と井戸枠の年号から考察すると、井戸は平安時代終わりごろから鎌倉時代まで使われました。

 家の近くで水が使えるのはとても便利です。井戸の水が枯れると新たに井戸を掘らなくてはいけないので、とても大切にされました。当時の人々は、井戸に神様が住んでいると考えていました。神様のご機嫌をうかがい、良い水がいつまでも涌くようにお願いしました。井戸の底から見つかった茶碗類は神様にお供えしたものでしょう。

井戸の中から見つかった土器類のなかに庶民には手の届かないような高級品もありました。それは中国景徳鎮から輸入した青白磁合子です。そのような大切なものをお供えするのはよほどの水不足の時だったのかもしれません。

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