588年(飛鳥時代)奈良に飛鳥寺が建立されました。その後の白鳳時代になると、あちこちに大寺院が建立されるようになりました。
四條畷でも正法寺や讃良寺が建立されました。正法寺は、薬師寺式伽藍配置の立派な寺でした。正法寺建立にあたっては、国家事業の規模で開発されました。この時に古墳群が破壊されてしまいました。
奈良時代の政治の中心であった平城宮(710年に平城京に遷都)では高級役人や下級役人が働いていました。都では大陸から来た僧侶や、平城宮に勤務する役人をはじめ、その屋敷で働く人や商業をする人、また地方から来た人などが、ひしめきあっていました。そのような環境下では疫病などが流行し、さまざまな災いがつきまといました。その治療と予防には薬草などがあったでしょうが、まじないも盛んに行われました。
都で流行した土馬を使ったまじないは、四條畷でも正法寺あたりを中心にして、たびたび行われました。土馬に雨乞いや厄除けなどを願ったのでしょう。
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1995年の調査
国道163号の拡幅調査で見つかりました。
川の跡から奈良時代の7体分の土馬をはじめ、土器や須恵器硯や瓦が出土しています。
これらは大小2種類に分けることができ、小型のものは裸馬で、大型のものは鞍やあぶみなどの馬具を着装した姿を表した飾り馬です。
これらの土馬は、すべて完全な形ではなく足を打ち欠いた状態で出土しました。
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小型土馬 大型土馬 須恵器硯
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1999年の調査
1995年の調査と同じく国道163号の拡幅調査で見つかりました。
また、土馬は川の跡から見つかりましたが、川に降りる階段が設けられていました。
土馬は大型で、頭と足が欠けて無くなっていました。土器類も数多く出土しましたが、四條畷で初めて見つかった壷もありました。
土馬は、正法寺跡周辺以外では、上田原 八ノ坪遺跡で見つかっています。
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大型土馬
手足や頭が欠けています。 |
川跡 |
川に下りる階段 |
珍しい形の壷 |
左の壷を復元 |
土馬の役割
土で馬をかたどったものといえば、古墳から出土する馬形埴輪や奈良時代の土馬がよく知られています。
土馬の性格・役割については、水とかかわりの深い場所から出土することが多いことから、干害や洪水に対する水霊信仰とかかわりがあるとする説や災いや病をもたらす厄病神に捧げたもの、あるいはその乗り物にみたてた土馬の足を折ることにより事前に猛威を封じたとする説があります。 |